副神官は手足を拘束され、猿ぐつわをはめられた状態で輿に乗せられた。 輿には薄絹のカーテンが掛けられ、その外側にはジャラジャラとした飾りが下げられた。 綺麗に飾り立てられた輿は、中からは外が良く見えるが、外からは中が暗く影になっていて見えない。 神殿の外には神官が命ある身を生きたまま神に捧げる尊い儀式が行われるとの噂を聞きつけた民衆が集まっていた。「副神官さまだー」「みずから神の近くへ行かれるとはっ」「素晴らしい神官さまだー」「ありがたい」「ありがたい」(なんのことだ⁉ 私はそんなことを承知していない) 輿の中で暴れようとした副神官だったが、手足を拘束された上、拘束具から繋がる鎖の先を輿の内部にガッチリとくくりつけられていて逃れられない。 バタバタと暴れたところで、その不穏な物音は民衆の歓声に呑まれて消えた。 叫ぼうにも口には猿ぐつわを嵌められていて声など出せない。(私はどこへ⁉) 副神官の動揺など全く関心のない輿の担ぎ手たちは、粛々と目的地目指して進んでいく。 輿を見守る民の目は爛々と輝いていて、それは狂気すら感じさせる信心だった。(どういうことだ⁉ 私を称えるなら、私を助けろ!) いっそう高い歓声が上がる。 建物も揺るがす大きな声で、副神官の乗る輿もガタガタと揺れた。「おお。輿が建物にはいるぞ!」「神殿の奥だ!」「神に最も近い場所だ!」「素晴らしい! 副神官さま! 忘れません! 我々はあなたの尊い偉業を忘れません!」「ああ、忘れませんとも!!!」「副神官さまー!」(助けろ! 私を助けろ!!!) 副神官の想いは空しく、口々に褒め称え歓声を上げる群衆たちに見送られて輿は建物の内部へと入っていく。(助けろ! 私を助けろっ! 助けてくれぇぇぇぇぇ!) 副神官も、その話は知っていた。 神のみ元へ生きたまま昇るという尊い儀式の噂は聞いていたし、実際に実行されたところを見たこともある。 副神官自身、建物の外にいる民衆のように歓声を上げ、感動の涙を流して輿を見送ったことがある。(あれが……処罰の方法だったと⁉ そんな話は噂にも聞いたことがないっ!) 争い絶えず権力のバランスをとるのが難しい国にあって、全ての事実を下々の者が全て知ることはない。(だが私は副神官だぞ⁉ そこまで出世したというのに……その私が、こんな
副神官たちへの処分は速やかに決められた。 名も無き者たちは罪状すら公表されることなく絞首刑となり、下層の貴族たちも処刑された。 それぞれの家は、もっともらしい理由をつけて潰された。 男爵、子爵程度であれば簡単に切り捨てられるが、それ以上の立場となると扱いが難しい。 当事者だけを処刑させて難を逃れようとする家もあれば、政治的な取引で我が子を助けようとする家もある。 それらを細かく処理したうえで、副神官の処分は決められた。「どうして私が処刑されなければならないのですか、大神官さまっ!」 副神官は大きな机をバシンと叩いて叫んだ。 大神官は自分の机の前に座り、激高する副神官を見上げた。 灰色の髪を振り乱して叫ぶ副神官の姿は醜い。 大神官は形のよい金色の眉を不機嫌そうに跳ね上げた。「君は王太子殿下に現場をおさえられたのだよ? 言い訳のしようもないではないか」「ですが、私は神官です。しかも副神官まで上り詰めた神官です。その私がっ! 他の者たちと同じように処分されるのは納得できませんっ」 副神官の身勝手な言い分に、大神官は溜息をついて右手で額のあたりを包んだ。「我ら神官は特別な立場ではないと、私は何度も言ったはずだ」「あれは下級神官の引き締めを促すための言葉でしょう⁉ あなたに次ぐ立場である副神官の私に当てはまるはずがないっ!!!」 副神官の醜い申し開きは続く。 大神官は再び溜息を吐いた。 ミカエラ誘拐の現場へ王太子に踏み込まれたというのに、副神官の往生際は悪かった。「君はね、副神官。王太子婚約者の誘拐という大罪を犯したのだよ? 罪を不問に付されると思ったのかね? どうしたらそんな思い違いができるのか……」「だってあの女は、たかだか伯爵家の娘ではありませんかっ。しかもあの家はいわくつきの家です。あの家の娘を守ることのほうが、私の命よりも価値があると⁉」 どう説明したら納得してもらえるのか? 大神官は、そんなことに悩むこともバカらしくなった。「あの家のことも、異能のことも、君には説明したと思うけれど」「それは聞きましたけれど……」 副神官はモゴモゴと不満げな言葉を口の中で転がしている。(長年の修行とはなんだったのか? コイツは何1つ分かってない) 大神官は部下であり弟子でもある副神官を青い瞳で冷たく見つめた。
ミカエラを誘拐した者たちは捕まった。「とはいえ、副神官が関わっていた、となると表立って処罰するのも都合が悪い」 国王は政治に敏感だった。「私としては、ミカエラを誘拐した者たちは厳しく罰して欲しいのですが」 アイゼルが厳しい声で迫ると、国王は諭すように言う。「だがな、アイゼル。厳しく罰すれば【ミカエラが誘拐されたこと】が周りに知られてしまう。それは【ミカエラを誘拐すればお前にダメージを与えることができる】と周りに知らせるのと同じことだ」「……ッ……」 父に指摘されて、アイゼルは唇を噛んだ。「冷たくしてまで守りたかったミカエラを、守ることができなかった無念は分かるが。幸い、今回は怪我ひとつなく救い出すことができた。だが、彼女がお前の弱点であると知れ渡ってしまえばそうはいかないだろう」「……はい」 アイゼルも充分に承知していることではあったが、罰したい気持ちは消えてはくれない。(愛を囁きたい気持ちを我慢してまで守っていたものを攫われて……はらわたが煮えくり返っているのに。この気持ちをそのままアイツらにぶつけることすら叶わないとは!) 息子の様子を眺めていた国王はフフッと笑った。「なに、表立って罰する必要はない。罰し方などいくらでもある」 その声はひどく冷たかった。 「お前はまだ若い。儂のやり方を見て覚えなさい」「はい、父上」 アイゼルは冷たく光る父の目を、復讐に燃える瞳で見返した。
「まぁま、ミカエラさま! ご無事でよかったですっ」「え……ええ。ありがとう……」 自分の部屋に辿り着いたミカエラを待っていたのは、侍女の歓待だった。「大変な夜だった。ミカエラは疲れているだろう。よろしく頼むよ」「あ、はい。承知いたしました」 侍女は慌ててアイゼルに向かって丁寧なカーテシーをとった。 夜会会場からミカエラが攫われたことは一部の人たちにしか伝えられていない。 侍女ルディアは、その秘密を教えられたうちの1人だ。 しかも自分の女主人が王太子にエスコートされて帰ってきたことで、手のひらをコロッと返したように態度を変えた。 帰っていくアイゼルの後ろ姿に頭を下げて見送ったルディアは、クルリとミカエラに向き直ると口を開いた。「さぁさ、ミカエラさま。大変だったでしょう。湯あみの準備が出来ていますからこちらへ」「え? ええ」 テキパキとお世話されてミカエラは戸惑う。(ある意味、ルディアの反応は分かりやすいわね。わたくしがアイゼルさまに冷たくあしらわれていると思えば冷たく扱うし、アイゼルさまから大事にされていることが分かれば態度がよくなる) それは歓迎できないときもあれば、できるときもある振る舞いだ。(わたくしには【アイゼルさまからの愛】を信じる必要がある。少なくともルディアの機嫌がよいときには、信じたらいいのだわ) 猫足のバスタブに体を預けながらミカエラは思った。 ミカエラの誘拐は、スムーズに解決された。 夜会はつつがなく終了し、ミカエラの誘拐そのものに気付いていない者がほとんどだ。 攫われて一日も経たずに救出されたため、事情を知らない人たちから見たらミカエラは王太子と朝帰りしたように見えた。(夜に攫われて今は昼近い。わたくしが消えて衛兵たちがバタバタしていたことにも気付かなかった人たちにとっては、そのような意味にとられても仕方ないわね) もちろん侍女ルディアには事実が伝えられている。 だが彼女は上機嫌だ。「うふふ。アイゼルさまは、ミカエラさまにぞっこんでしたのね。私、気付きませんでしたわ」 彼女の機嫌がよいのは、ミカエラの無事を喜んでの事というわけでもない。 ミカエラがアイゼルと朝帰りした、という噂が広まることで自分の立場がよくなるからだ。「今日はお手入れに時間をかけるよりも、お休みになったほうがよいかもしれません
頭を抱えていたアイゼルは、突然ガバッと顔を上げるとミカエラの方へ顔を向けて口を開いた。「今回のことは副神官が首謀者として裁かれるだろう。もっと先があるのは分かっているが、証明ができない。あの場にいた副神官に関しては罰せられる。それは確実だ。約束する」「えっと……はい」(アイゼルさまが必死になっていらっしゃる。わたくしは、冷遇されている王太子婚約者ではなかった、ということなのかしら?) ミカエラは、まだ夢を見ているような気分を味わっていた。 アイゼルは続けて説明する。「副神官は言い逃れできない。だがその先にいる者たちには手が出せないのも事実だ。そこは許してほしい」「はい。常に政治的な判断が必要なのは承知しております」「あぁミカエラ。その顔は、まだ私の気持ちは通じていなさそうだ」 アイゼルは落胆したような表情を浮かべた。 そんな王太子を見てミカエラは戸惑う。(気持ち? 気持ち、ですか……) ミカエラの気持ちは異能を通じてアイゼルに駄々洩れだ。 (わたくしの気持ちについては自分で分かっていますけど、アイゼルさまの気持ち……気持ちは意識していなかったような気がします) ミカエラはアイゼルに優しくしてもらいたいとは思っていたが、気持ちについては深く考えたことはなかった。(愛されたいというよりも、愛しているように見える行動を求めていたような気がするわ) 優しく話しかけて、エスコートしてもらって、一緒にダンスをする。「わたくしはポワゾン伯爵令嬢のように扱ってもらいたかっただけ……」 なんとなく口にしたミカエラの呟きを聞いたアイゼルは血相を変えた。「あぁぁぁぁぁ、それは誤解だ。誤解だからっ」「誤解?」 首を傾げるミカエラに、アイゼルは事情を説明した。「まぁ! ではあの方はポワゾン伯爵令嬢ではなく、令嬢に変装したポワゾン伯爵なのですか?」「そうだ」 アイゼルは「それはそれで問題があると思うが、私はそっちじゃないから」などとブツブツ言っている。 それを見て守護精霊たちはケラケラと笑っているが、ミカエラは混乱していた。(攫われたと思ったらアイゼルさまに救われて、そこから一気に新情報が入ってきて理解が追いつきません~) ウィラは笑いをおさめると、凛とした物言いでミカエラに話しかけた。『ミカエラ。ボクはミカエラの側にずっといるし、
アイゼルはミカエラ方に向き直って口を開いた。「ミカエラ。隠し部屋にいた君を見つけることができたのは、ラハットたちの協力があったからだよ」 ミカエラは驚いてアイゼルへ向かって勢いよく顔を向けた。「守護精霊さまたちの?」「ああ」 2人のやり取りを見ていた守護精霊たちは、コクコクと頷きながらキラキラと嬉しそうに煌めいた。 「そういえば、わたくしが閉じ込められていた部屋は……」「ああ。あの隠し部屋は外からは見えないし、私も知らなかった。だからラハットたちに教えてもらえなかったら、君を救いにいくのは難しかっただろう」 苦しげに言うアイゼルに、ミカエラの胸はトクンとときめいた。(アイゼルさま。そんなにわたくしのことを……) ラハットが嬉しそうに説明する。『ボクたちが教えてあげたんだよぉ~』『そうそう。ボクたちは神殿や王城のことは知り尽くしているし、壁もすり抜けて移動できるからね』 ウィラの言葉を受けて、ラハットが得意げに壁抜けを披露してみせた。「まぁ!」「な? 驚くよな。私も初めて見た時には驚いたよ」 驚くミカエラの横で、アイゼルは呆れたように守護精霊たちを指さした。『でもねぇ、最初は上手く伝えられなかったんだよ』 ラハットが言えば、ウィラもコクコクと頷きながら言う。『そうそう。ボクの姿はアイゼルには見えにくかったからね』 ミカエラは意外そうに言う。「あら? ラハットが見えるようになれば、ウィラも見えるようになるのではなくて?」 ラハットが意味深にニヤニヤと笑いながら説明する。『そこはさー。ミカエラとアイゼルの関係次第なんだ~』『そうそう。ボクの姿はミカエラからはクッキリ見えるようになるけど、アイゼルへの見え方はミカエラの気持ち次第なんだよねぇ~』「え?」(どういうこと?) ミカエラは困惑してアイゼルと守護精霊たちを交互に見比べた。 ラハットは腕を組んで真面目な顔をすると、コクコクと頷きながら言う。『ボクたちは信じる気持ち次第で見えたり、感じられたりするレベルが変わるし。それは愛とか恋とかの感情ともつながっているんだ』 頷いて下を見るたびに大きな目が閉じる姿は可愛いが、言っていることは難しい。 ウィラもラハットの隣で同じように頷きながら補足する。『うん。ニンゲンには理解が難しいかもしれないけど、ボクたちにとっ